性同一性障害の様々な問題を専門医と一緒に解決していきましょう

今から思うと、私が1番最初に性と身体との不一致の方?を見たのは3歳くらいのと きだったと思います。

当時、テレビに某歌手の方が女装をして出演し、歌を歌っていたのをいつも楽しみに 見てました。
私の親の話ではその某歌手以外の歌手にはまったく興味を持たず、いつもいつも某歌 手さんの歌を口ずさんでいたそうです。 もちろん、当時は「性同一性障害」という言葉など世間的にも全く知られているわけ でもなく、3歳の私も当然ながら知るはずもなく、 ただ単に某歌手のファンだったのだと思いますが、今から思うと、これが私の原点 だったのかもしれません。

その後、大学生時代にオカマバーで働いている性別適合手術を既に受けたフィリピン の方と何人かと知り合いになり、色々と お話をしているうちに医学的に興味を持ち始めました。 しかしながら、当時も現在もそうですが大学のカリキュラムでは「性別適合手術」を 専門に学べる環境はいまだに整っいません。

卒後、東京大学形成外科から埼玉医科大学付属病院形成外科へ派遣され、鍛錬を積ん でいたところ、分院の形成外科の原科教授が性別適合手術を開始されたのです。 これがきっかけとなり、忘れかけていた「性別適合手術治療」への熱意や興味が再び 湧き上がってきました、。
さらに幸運にも日本では珍しい、個人で性別適合手術に力を入れておりました和田先 生とお知り合いになることができ、 その出会いが私にとっての最大のターニングポイントでした。
今度は自分でも性別適合手術を本格的にやろうと強く決意したのです。
和田先生との出会いがなければ、今日の私はいなかったでしょう。 しかし、悲劇は突然起こるものです。ある日、突然、先生が他界してしまったので す。
和田先生がお亡くなりになる1週間くらい前まで電話で話をしていたので、先生の死 は師匠を亡くした事以上に、私の人生において大きなショックな出来事となり、しば らくは途方に暮れていた事を思い出します。 ただ、後ろを見てばかりいても仕方ありません。 先生の死後は、様々な手術方法を 習得すべく、岡山大学形成外科の性別適合手術の見学、タイの病院で修行を行うなど し、現在の手術主義の原点を確立しました。

ただ、医療には終わりがありません。 ここが難しいところで面白いところでもあり、 決して現在に満足せず、積極的に新しい治療法等を取り入れ、 学会や、勉強会に参 加し、 常に自分の手術手技を見直し、進歩させています。 実際、半年前に行っていた手術と現在行っている手術とは細かな部分が変化してま す。
こうして振り返って見ると、私と、GID治療の関係は、色んな運や縁のお陰なのかと つくづく感じます。 まさか3歳から興味を持っていたとは、自分でも驚きですが(笑)、 これも運命だったのかもしれません。
これからも悩める患者様との縁を大切に専門分野として積極的な治療を行っていきた いと思っております。

清水一樹(カズキプライベートクリニック)

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